今年も終戦の日がやってきました。
いつもと違い今年は終戦から70年と言う節目の年だそうです。
それに伴い戦後70年談話が発表されたようです。
私はどうもシラけた感じがして聞く気が起きませんでした。
いや、謝罪や反省の文言が無いからだとか、そう言うことではなく色んな疑問が多過ぎて聞いてもしょうがない気がしたからです。
第一に談話って必要なのかなぁと言う素朴な疑問がありました。
現在の総理大臣の考えが、歴代の総理大臣と変わってないかどうかの確認みたいなことなのかも知れませんが70年ですからねぇ。
世界の状況も数十年前とは違いますし、勢力図も変わってきています。
実際、中国にしても数十年前は今ほど強くなかったでしょうし、もう少し日本に対して話し合い次第で譲歩もしてくれるような国だったように思います。
現在のように敵対と言っていいような関係の中で、謝罪なんて白々しいというか謝りながら裏ではいつでも銃を撃てる状態にしていると言うのは無意味な気がします。
もちろん、戦時中、日本の領土拡張のために犠牲になった人がいるのは事実ですし、本当の意味で被害を与えた人に謝るのであれば分かるのですが、どの国にしても政治利用してるところがスッキリしません。
仮に日本が謝罪したところで、政治利用してる限りそれで終わらないことは目に見えていますし。
談話の内容に 「あの戦争に何ら関わりのない私たちの子や孫、そしてその先の世代の子供たちに謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません。」とあるようです。
これは本当ににそう思いますが、そう言うのならば戦後70年談話なんて止めておけば良かったんじゃないかと思います。
こう言う話をした後に「なので、もうこれ以降、談話は出しません。」と言うのであれば良いですが言ってないでしょう?
このままいけば戦後80年談話、戦後100年談話だってあるでしょうに。
今後もずっと謝罪があるとかないとか言う談話を続けないといけなくなるんじゃないですかね。

ってかね、いつも思うのですがマスコミがアホ過ぎます。
スルーで良いところをスルーしないで、わざわざ海外の注目を集めますし。
今回の談話も謝罪があるかないかを問題視したいようですが、そうじゃなくて全体の内容で判断するべきじゃないんですかね。
でも、自分ではハッキリ言えずにいつも「せんせ~!日本君がこんなこと言ってますよ~。いいんですか~?」的な方法でしょう?
批判したいなら主体的に言えよと。
どこかの外国のジャーナリスト頼りってところが目に見えて情けないです。
戦後70年と言うことで特集も多く組まれて、これまで知らなかったことを知る機会が多かったような気がします。
「戦争はいかん」これは良く聞く言葉ですが、まぁそりゃそうでしょう。
「戦争はいい」って言う人は戦争マニアか、自暴自棄になったはいいけど一人では死ねない人か、戦争をやってくれたほうが利益になる人ぐらいでしょう。
「戦争はいかん」と思っていても、それでも戦争になってしまうのは理由があるのかも知れません。
最近感じるのは空気感みたいなのがあったのかもしれないなぁと思います。
先日、国会で自民党議員が「戦争がイヤだと言うのは、自分のことしか考えない人だ」みたいなことを言ったそうですが、そんなことが常識とされた社会だったとしたら戦争に反対できなくなったんじゃないかと。
戦時中はお偉い某大新聞も大々的に扇動してたようですし、その上、現在のようにネットも何も情報源がない状態で戦争が不可避になっていったのではないかと思います。
そこに戦争に反対するのは不謹慎やら、非国民やら、天皇陛下への反逆を持ち出されたらやらざるを得なくなったんじゃないですかね。
まぁネットやら情報通信機器がなければ、今も昔もほとんど変わってないように思いますけどね。
先ほどの自民党議員のように戦前と同じような思考をしているのも居るようですし。
状況が揃えば、また同じことが起こりそうな気がします。

その戦前には無かった情報通信機器で至言だと思う記事を見つけました。
いとうせいこうさんと高橋源一郎さんの対話みたいなものですが、たまたまスマホで暇つぶししていて見つけました。
いとうせいこうさん老けましたねぇ。
いや、それは置いておいて流石です。
日本の無責任体制は70年前と何も変わってないと言うくだりは私も全く同意見です。
「何となく」で、どんどん進んでいって熱を持ち始めて止まらなくなって、誰かがどうにかしてくれると思っているうちに誰もどうにかしてくれずに大爆発みたいな。
誰も責任を取らないというのは、強力な独裁者が居ない理由でもあるんでしょうね。
日本は責任を取るつもりのない人が、何となく上に立つような政治体制なのかも知れません。
減点法で減点が無かった人?
箸にも棒にもかからない人だけど、冒険しないのでミスもないみたいな?
それで気がついたら一番上になっていた的な?
それは東電を見ていてもそうですし、政治家ばかりじゃないように思います。
東電の場合、震災前に安全設備の問題を指摘されていて、その改善を拒否しておきながら事故が起こっても誰も罪に問われないというのはどう考えても異常でしょう。
仮に自動車の車検で問題を指摘されていて、お金が無いからと部品交換を拒否して事故が起こったら整備不良で捕まるでしょうに。
うがった見方をすれば、責任を追及すれば自分が上に立ったときに自分も責任を追及されるからじゃないのかと。
ホリエモンの時は実刑でしたが、東芝の粉飾決算もある意味、株価操作にあたるでしょうに、どう言った審判になるのか興味深いです。
もしかするとホリエモンが追及を受け重罪になったのは、独裁的な経営者だったのが影響したんじゃないですかね。
異物排除のような話だったのかも。
まぁホリエモンは好きじゃないですが、責任を取ったところだけはマシだなぁと思います。
また、戦争に全く向いていないというところも、まさにその通りだと思います。
上が責任をとるつもりが無いんですから、その責はすべて国民に回されるわけです。
またまた、東電の話が出てきますが、あれも現在は国民の税金で事故の処理しているでしょう。
本来であれば事故が起こって自分でケツを拭けないような事業はおかしいでしょう。
そんな会社が国内にいくつもあって原発の再稼動をすると言ってるんですから・・・。
再稼動してもいいですが、責任の所在をはっきりさせてからにすべきだと思います。
事故が起こって自分でケツを拭けないのであれば再稼動すべきではないでしょう。
震災前は「原発事故はありえない、絶対安全」と言ってたらしいですから、どこまで非現実的なのかと。
どんな機械でも事故や故障の可能性はゼロではないですからね。

そう言ったことにしても全く合理的じゃないですから、戦争になった場合には、合理的じゃない国が合理的な国に勝てるわけがありません。
最後は精神論になってしまいますし、勝てないのは根性が足りないからと言う話になってしまうでしょう。
さらに戦況が進めば死んでいった仲間に申し訳がないということを言い出しますし、そうなれば撤退などできずに最後までやらないといけなくなるでしょう。
その上、「生きて虜囚の辱を受けず」とかもあるんですから降伏もできないと・・・。
いやいやいやいや、なんだか書いていて辛くなってしまいました。
どう考えても絶対戦争をしちゃ駄目な国でしょう。
下手したら民族滅亡しますよ。
毎度、原爆を落としたアメリカの言い訳には腹が立ちますが、落とさなければトコトンまで降伏しなかったという部分だけは本当かも知れません。
正確には「降伏しなかった」というよりも、「降伏する決断が誰にもできなかった」ということかも知れませんが。

なので安保法案も危険極まりないと思います。
責任をとらない人々が何となく決めて実運用になってしまうんですから。
野党がマヌケだと思うのは、この問題は戦争法案やら戦争ができる国にとかじゃないんですよ。
そんなものはキッチリ憲法が守られていれば憲法違反だと言うことで、いくらでも破棄できるでしょう。
そうではなく、何となく憲法を解釈で捻じ曲げて法案になってしまっているところが問題なんだと思います。
内容はどうだっていいんですよ。
解釈だけで何でもできるような前例を作って憲法の縛りが無いのと同じ状況になっていることを追及すべきなのに、戦争できる国やら徴兵制をするつもりですかって・・・。
そんな追及では「違います。」と言えば終わってしまうでしょうに。
見ていてイライラします。
この法案が元で将来、自衛隊が戦闘に巻き込まれて誰かが亡くなっても恐らく誰も責任を取らないんでしょうね。
せめて誰が責任を取るのかを決めてから法案を通して欲しいです。
と、言うよりもやはり手順を踏んで憲法を改正してから法案にするべきです。
憲法を無効化するような方法は将来の災いになると思います。
何だか戦後70年でこう言う法案が出始めるって象徴的だなぁと思います。
ちょうど戦争に参戦した世代の人が寿命になるぐらいの年月じゃないですか。
20歳で戦場に行った人も今では90歳ですし。
70年ぐらいしか教訓は残らないのかも知れないなぁなんて人間の限界を感じたりします。
とは言え、祖先の犠牲の上に成り立った平和なんですから簡単に放棄するようなことは馬鹿げていると思います。
平和への貢献は軍隊を出さなくてもできるでしょうに。